しょうがない夢更新〜快感フレーズに嫉妬して〜

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本谷有希子 『クレイジーハニー』

 

希望がないことの希望

 

 

 

第一回目は本谷有希子作・演出の舞台「クレイジーハニー」評です。本作が初舞台の女ウォンビンこと長澤まさみ、イラスト・デザイン・文筆業そして俳優業までもという多岐にわたる分野で活躍しアイドルを食い物にするリリーフランキー(全男子の敵?!いやいや、、きっと魅力ある人なんでしょう、、うへぇ〜、、、)。これみよがしに垂らされた強烈なフック(こんなこと書くと直ぐさま「似非サブカル野郎!」と文句が飛んできそうですが、このキャストがより多く、広くの人に波及する機能を持ち得る事は否定できないでしょう。そういう意味だよっ豚野郎!)に、取り敢えずはまぁーまんまと引っかかったという体でみなさん機会があれば是非観てほしい作品でした。

 

 

 

この物語の主人公であるひろみ結城は徹底的に自らを支えようとしてくれる人たちを罵倒します。

 

 

 

「悔しくてならないのは、皆さんが私を応援していると虫のいい寝言をほざいたまま、いつか、ああ、ひろみももう終わりだ、あいつは完全に道を踏み外したよなどと私の人生を分析する姿がありありと想像できるからです。」(←個人的に一番悩まされた台詞...)

 

「なぜそんなにも人が自分の意見を聞くなんて信じているのでしょうか?」

 

「なぜ自分の反応を疑いもなく伝えようとするのでしょうか?」

 

「気付いてください。人と人が繋がりたいなんて暴力です。あなたたちは怪物です。」

 

 

 

誰か、何か、のファンであることを経験した事がある人に、この言葉は果たしてどう響くでしょうか。応援という言葉に代表されるようなファンのスタンスでさえ、「そんなこと誰がやってくれって頼んだ?」と罵倒される始末。ファンの存在に依って曲がりなりにも今の自分が存在/成立しているということを透過して、ファンの共有したい、支えたいという思い自体を断罪するのです。が、共依存的関係が事実としてある以上その断罪は自己へと帰結せざるを得ません。

 

そんな彼女も実は、品性がありつつ最も社会的に疎外される立場にいるまきちゃんとつるむ/関係をもつ事でしか自分の存在意義を見出せない存在として描かれます。

 

人と繋がりたいなどと希求するのは結局てめぇが満足する為に言い訳で、、しかも他人の人生使って、、怪物、、、
果たして出口はあるのでしょうか。

 

 
しかし。しかしですよ?他者の為に生きる事とエゴイズム、合理性と非合理性、真実と誤謬、一貫性がないどころか平然と矛盾する気分/感情が同居する心を持つのが人間であるとするならば、もはや怪物でない人間はこの世にいないのではないでしょうか。人間は怪物であることを免れ得ない。それを責めても出口はない。

 

 

 

ならばどうするか。どう誠実に怪物であろうとするか。ここには工夫の余地があります。それは容易く「連帯」や「絆」を謳ったり、わかり合えるという盲目の前提から出発することではないはずです。厳密に自分と同じルールで生きている人などいない(そのルールを適用すればあらゆる人に非常識を見出せてしまう。)、つまりわかりあえていないということから出発し、そしてルールの共有が果たし得ない場合にどう折り合いを付けながら生きていくのかを模索する。逆に言えば、排他性から完全に自由な人間などいないのです。ある共同体内での平等の調達は必然的に外部の排除を含んでしまいます。ここで最も危険なのは自分だけが違う思うことではないでしょうか。ひろみがそうであったように、です。

 

 
彼女は結局ファンという一つの共同体を失ってしまいました。信仰という全肯定が一気に全否定へと裏返る終盤は全肯定のあやうさとあやふやさをそこに見ずにいられません。そしてそれはひろみ自身の絶望と希望の表裏の関係として最後描かれます。

 

 

 

またこの作品ではファンコミュニティ内の集団的意識も非常によく描かれていたように思えます。仲間、絆、連帯というものが居心地の良さを保証し、またそれは共同体からの離脱不可能性をも強めてしまう、という回路。(共同体の構想、つまり連帯と離脱の自由が如何に困難か。この問題に明確な答えをまだ私は持ちませし、それについてはまたどこかで。)

 

そして小説、果ては何かを書くということ(こうして私もネットに書いている訳ですが。)に付いてまわる〈残ってしまう事の残酷さ〉、〈残らず消え果ててなくなってしまう事の残酷さ〉はどのような愛をもって生きていけるのか。

 

などなど個人的には非常に多くの示唆に富んだ作品でした。

 

 

 

今回はDVDという媒体でしたが、自分に舞台というまたとない新たな未知/道が準備されたことを祝福しつつ。

 

以後も、ある意味では無頓着を佳味することを求めて繰られた文字がページを踊ると思われますが、初回はこれでおしまいということで。ではでは。

 

 

 

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